さて、久々のバブーさん登場です。
今回は、私が最近気になっていることについて、やりとりをお付き合いいただきました。
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バブーさんへ
お久しぶりです。
実は、最近色々と考えていることがあるのですが、聞いてもらえますか?
「感じる」「思う」「考える」ということについてなんですけど。
表現方法といったことは排除して、純粋にその行為についてなんですけどね。
まず、ヤフー辞書(http://dic.yahoo.co.jp/ )で調べてみました。
「思う」について。(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%80%9D%E3%81%86&stype=1&dtype=0 )
1 ある物事について考えをもつ。考える。
判断する。信じる。
決心する。決意する。
あやしむ。疑う。
2 眼前にない物事について、心を働かせる。
推量する。予想する。想像する。
思い出す。追想する。回顧する。
3 願う。希望する。
4 心にかける。心配する。気にする。
5 慕う。愛する。恋する。
6 ある感じを心にもつ。感じる。
7 表情に出す。そういう顔つきをする。
「考える」と「感じる」も「思う」と同じ意味なんだ・・・。
じゃあ、「考える」で調べてみよう・・・。
(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B&stype=1&dtype=0 )
1 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
判断する。結論を導き出す。
予測する。予想する。想像する。
意図する。決意する。
2 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。
3 工夫する。工夫してつくり出す。
4 問いただして事実を明らかにする。取り調べて罰する。
さらに、「感じる」はどうだろう・・・。
あれ?意味は乗ってないな~。類語を探してみました。
(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%8B&enc=UTF-8&stype=1&dtype=5 )
感じるの類語:
感付く 気付く 〈敵に〉覚(さと)られる 感じ取る 刺激を受ける 感受 感応 神経が鋭い
さらにリンク先にいってみると・・・。
感付く:直観が働いて気付く。心づく。
気付く:[1] それまで意識になかったことに、思いが及ぶ。
気がつく。
[2] 意識を取り戻す。正気(しようき)にかえる。
気がつく。
感じ取る:様子などから直感によって知る。
感受:心で感じとること。
感応:[1] 人々の信心に神仏がこたえること。
[2] 事に触れて心が感じ動くこと。
[3] 電気・磁気の誘導の古い言い方。
こうして読んでみると、息子たちは「考える」はよくしているように思うけれど、「思う」「感じる」は、難しいんじゃないかなって思いました。
例えば、アスペ君は、「友達と遊ぶのは楽しい」とよく言います。楽しいって楽しいと感じるってことですよね。
でも、「楽しいってどうやってわかるの?」と聞くと、「笑うから楽しい」と答えます。
嫌な出来事があったときは、「つらいから一人にしてくれ」とか、「ゲームで嫌なことをやっつける」などといいます。
感情表現はしているけれど、私とは違う道筋で表現しているように思えます。
息子たちは感情がないわけではないけれど、自覚したり表現したりするのに私たちよりも、多くの手間や時間がかかっているのではないかなって思うのですが、バブーさんは、どう思われますか?
★
ママへ、
これ、
まるでファンタジー小説の精緻に構築された世界観のようだわ。
というのも自閉症のバブーにはこれらの精神機能が一切使えないからねえ、ただただ圧倒されるばかりよ。
そこでまず非自閉症のママに質問。
この壮大な物語における「感じる」「思う」「考える」の反対語ってなあに?
バブーより
★
バブーさんへ
使えないんだ。アスペ君は、話し言葉でよく使うので、機能として使っているように見えてしまうんですよね。
反対語ですか?
えっと、瞬時に浮かぶのは、「感じない」「思わない」「考えない」だけど。あとは、無感覚、無意識、拒否、って感じかな~。
ママより
★
ママへ、
そうアスペくんには使えないの。無い機能は使えない。
それがさも機能があって使っているかのように見えるのは、そうねえちょうど落語家さんが扇子一本でいろんなことをするでしょう。名人ともなれば本当に湯気を立てているお蕎麦を食べているかのように見える。
お客さんはそれを見て実際に「わあ何て美味しそう、何だか私も急にお腹が空いてきちゃった」となるから、どうやら相手の脳にはきちんと「彼はお蕎麦を食べている」と認識されているらしい。
でももちろん落語家さんご本人は別にそれでお腹が一杯になる訳ではなく、彼はそういった芸を大勢の方に披露して報酬を頂いて、そのお金で「おまんまを頂いている」と。
それにかなり近いことをアスペくんもバブーもしている。じゃ私たちの商売道具であるところの「扇子」に相当するのは何か? 何だと思うママ。
バブーより
★
バブーさんへ
表現に使う小道具という意味ですよね。
そしたら、アスペ君は言葉ですね。
カナー君は、服を噛んだり、怒ったりしたときに、「思っていたことと違うことが起こったんだろうな~」って想像するので、行動かな~。
ママより
★
ママへ、
そう正解!
でも小道具とはちょっと違うのね。俳優さんが落語家の役を「演じる」とき扇子を使って落語家っぽく「見せかける」というのならそれは小道具ということになるんでしょうけど。
落語家さんの扇子と手ぬぐいは「私は話芸でこれをどんなものにでもしてご覧に入れます」という芸の象徴だから、懸け離れた形をしてるほどいいんだと思うの。つまりテクニックに対する自信の表れよね。
アスペくんやバブーの場合は、そんな落語とか演劇とか洗練された舞台芸術の話ではなく「だってこれしかないんだもん」と仕方なく毎日いじくり回しているうちに、歳とともに次第に扱いに慣れ、今ではあたかも小道具であるかのように見てもらえるようになった、扇子でもおもちゃでもない単なる「紙きれと木っ端」という感じかしらね。わかるママ?
この点はすごく大切で、くどく念を押しておかないと自閉症の専門家でさえ「アスペルガーの人はある種演技によって普通っぽく見せ掛けてるんですね」とか誤解する人が必ず出てくるのよ。私も実際に専門家に言われたことがあるわ。するとカナーくんの「行動」との共通点が見えなくなってしまうのよ。
自閉症は「欺く」という機能そのものがないんだから、そういう意味では「演じる」も「見せ掛ける」もなく、大道具も小道具もないのよね。なんせ初歩も初歩、ごっこ遊びの段階で早くもつまずいているんですもの。
バブーより
★
バブーさんへ
つまり、「彼らは、その時自分が使えるものを駆使して必死で表現している」ということでしょうか。
カナー君の場合は、ときにはかんしゃくっぽく見え、アスペ君の場合は、ときには反抗的に見え・・・。
でも、息子たちからしたら、反抗するつもりなんてなく、そのときはその方法でしか表現できないような状況だったということでしょうか・・・。
ママより
★
ママへ、
ママの仰る「その時」使えるものが、「その場その空間」でたまたま使えるものといった行き当たりばったり的なことではなく、「各人の機能に見合った成長のある段階」で無理なく使えるものという意味ならその通りよ。
例えば一歳三ヶ月で既に言葉を喋っていたアスペルガーのバブーなら、大人になって突然ぎゃーと叫んで腕を噛む、みたいな表現手段を採用することはいくらなんでもないということね。
とはいえせっかく習い覚えたバブーの言葉も、大きな体を張ったカナーくんのかんしゃくも、言葉と体どっちを使ったらいいのかよ!というアスペくんの思春期男子の苛立ちも(多分それが反抗に見える)、どれもみな公平に通じないのよ。
バブーより
★
バブーさんへ
はい、そうです。
その子が日々の生活の中で使えるようになったものって意味です。
非自閉症者は人とコミュニケーションしているときに、相手の言葉や行動からその人の意図をニュアンスで感じ取ってしまい、そのままやりとりを進めてしまいがちで、そのつど相手の意図を確認することを忘れてしまうんですよね。
だから、表面上は通じ合っているように見えても、質的にずれていき、そのうち「あれ?」って感じになるか、ひどければ「さっき、こう言ったじゃないか」って責め合ってしまうように思います。
ということは、バブーさんやアスペ君は、「思う」、「感じる」、「考える」と、話し言葉や書き言葉などで表現はできるけれども、それは、私たち非自閉症者の「思う」「感じる」「考える」とは違うということですね。
では、どう違うのでしょうか?
ママより
★
ママへ、
それそれ、バブーやアスペくんの「意味のある言葉として聞こえる音声」と、カナーくんの「意味がないとしか思えない行動」は、どちらも非自閉症のママに観測された瞬間に初めて「意味という概念」が生じているでしょう?
どこに生じるかといえばもちろん【非自閉症のママの脳内】にだわ。
ところがせっかくママの脳内に生じた「意味(という概念)」も、かのファンタジックな「非」自閉症ワールドに於いて精緻に設定されているところの「言葉」や「行動」の意味するところとどうやら違っているようで、その証拠にしばしば食い違いが生じて責め合いになる・・・・
ということをママは身に染みておわかりなのね。
それもそのはずよ、なぜって「思う」「感じる」「考える」という精神機能が一切使えないのとまったく同じように、自閉症は「意味する」も使えないんですから。
「意味する」の反対語は「意味させない」でいいかしら?
バブーより
★
バブーさんへ
なんというか、インパクトのあるお返事でした。
「意味させない」なんて、全く思いつかなかったですよ。(^_^;)
反対語の道筋が、私とは違うんだな~と改めて感じました。
「意味する」も使えないんだ・・・。
いや、これは想像以上の違いですね。
文化の違いくらいでは言い表せないですよ。
姿形は同じだけれども、組み込まれた機能が全く違う2種類のものって感じです。
それにしても、バブーさんは「使えない」ということにどうやって気づかれたのですか?私、アスペ君はまだそのことに気づいていないように思えるのですが。
ママより
★
ママへ、
日常生活をしてて体験的に「使えない」と気付いたという訳ではないの。
ある日突然「使えるはずがない!」という驚くべき結論が[E=mc2(二乗) ]的に出て、しかしその結論は、突然とはいえ生きてきた年数分だけの膨大なデータの積み重ねがMAXになって導き出されたもので、まったく覆す余地がなかったということよ。以来どんどん補強される一方なの。
こんな感じだったわ、
幼児のころからテレビを何十年も見続けているのだがちっとも面白くなく、しかしみんなが昨夜のテレビ番組の話をして盛り上がっているのを見て、「うそーっ!ほんとに?」といって雰囲気を壊すのも何だか悪いし、きっとみんなも我慢してわざと楽しそうに話しているのだろう、「偉いなぁ」と心底感心しつつ、それにしてもみんな少々やり過ぎではないか、とかなりうんざりしながらも相づちを打ち話を合わせてきたが、ある日何の気なしにテレビの後ろに回ってみたらコンセントが抜けてて「なんじゃこりゃー!」みたいな。
もちろんそのとき既に診断はされてたけど、自分が自閉症だとはっきり「自覚」したのはこの結論を得てからよ。
それともきっかけとなった具体的なエピソードのこと?
バブーより
★
バブーさんへ
そうですね。
具体的なエピソードの方が、私が誤解する危険が低いように思います。
「面白くない」を私の「面白くない」で解釈すると、程度差の話になってしまうように思いますので。
ママより
★
ママへ、
ママの仰ることはもっともだわ、バブーが軽はずみだったわ。
じゃひとつ前に戻ってやり直し。
うーん、これは本来言語では説明不可能なことでねえ。
「悟りってなんですか~」という質問と同じで、聞いたママも、答えたバブーもどちらも禅の高僧が側にいたら警策で「渇っ!」って叩かれちゃうわ。
そもそもバブーは「言葉」が使えないということをママに「言葉」でお話ししたと。そしたらママが「言葉」が使えないということにどうやって気付いたのかと「言葉」で質問したと。
ね、このように今私たちは矛盾だらけのデリケートなやりとりをしている訳なのよ。
ひとつ確かなのは、自閉症のバブーが「使えない」ということにあるとき気付いちゃって、気付く前の状態にはもう戻れない、ということ。
ママはこの疑問を保留することができるかしら?
何てったっけそういうのエポケー?(この学術用語はバブーの積極奇異の個人的な知人に教えてもらったのよ)もし出来るようなら話を続けるわ。
ムリならひとまずここで終了しましょう。
バブーより
★
バブーさんへ
本当ですね。なんとも難しいやりとりをしていることに気づきました。
エポケー、よくわかりませんが、とりあえず先に進んでみて、ダメなら終了でもいいですか?
ママより
★
ママへ、
バブーの「想像」がすべて外れたママのお返事でした。
「想像」が外れることはママとお話しているとしょっちゅうあって(というより100%外れる)、そのたびにバブーは自分には「想像力」がないことが確認できてすごく安心するのよ。
いつも何のためらいもなくエピソードをご紹介するバブーが、今回に限ってそうしないのでママは違和感を覚えたかもしれないわね。でもこの「使えないとわかった」切っ掛けとなったエピソードは、その貴重さに於いて他のエピソードの比ではないの。だから軽々しく口に出せないのよ。
なぜならそれは、自閉症のバブーの脳が生まれて初めて「使えない」という【概念】を見たと同時に「自分」という【究極の概念】をほんの一瞬だけ垣間見た、理屈上自閉症が一瞬だけ「治った」奇跡体験だったからよ。そんなの話したって誰が信じるかしら?ママに一度でも否定されてしまったらもう立ち直れないわ。
けれどもママが質問の前に「文化の違いくらいでは言い表せないですよ。姿形は同じだけれども、組み込まれた機能が全く違う2種類のものって感じです。」と言ってくれたのに「その通り!」と死ぬほど感動して、感動のあまり何とかしてバブーの「感情」を伝えたいと思い、エピソードの代わりにテレビの例え話でお茶を濁そうとしたら、鋭いママにたちまち見抜かれてしまったの。
話を戻すと、あのときバブーは「使えないという概念」と「自閉症という概念」が合わさったそれらの概念の主体というか総元締め、つまり究極の概念としての【使えない自閉症の自分という概念】を一瞬だけ垣間見て、何とかして捉えようとそれはもう必死だったわ。実際に両手を出して捕まえようとしたくらいよ。
非自閉症のママは何をそんな簡単なことで苦労して必死になる必要があるのだろう?と滑稽にすら思うかも知れないけど、それは自閉症が概念を【一瞬たりとも頭にとどめておくことができない】ということが「想像」できなければ当然のことよ。
バブーは手からすり抜けようとする【究極の概念】に実際に覆い被さって、押さえつけて、死にものぐるいでこれを捕獲し、次に大急ぎで「象徴」となるべき「物」捜して、ついに見つけることに成功したの。それが何かはひ・み・つ
今ではその「象徴」をよりどころにして、あのとき一瞬だけ見た「自閉症の自分」という概念を反芻しているわ。これをきちんと意識してやらないといつの間にかスーッと消えてなくなってしまって「私は本当に自閉症なのだろうか・・・」という無明の迷いがでてくるのよ。
ということで、ここでバブーが「使えないとわかっている」言葉を敢えて使って「自閉症という概念」なんかをママに堂々と話せるのはその体験と、象徴となる物と、それと使った日々の確認作業あってのことなのよ。
このことをママに話すよい機会を作ってくれてありがとう。
バブーのことを「文化の違いくらいでは言い表せない、姿形は同じだけれども組み込まれた機能が全く違う2種類のもの」とママが感じる切っ掛けとなった「エピソード(事実)」をいつまでもわすれないよう【概念(気持ちということになるのかな?)】に工夫してくださることを願うわ。
バブーより
★
バブーさんへ
『バブーのことを「文化の違いくらいでは言い表せない、姿形は同じだけれども組み込まれた機能が全く違う2種類のもの」とママが感じる切っ掛けとなった「エピソード(事実)」をいつまでもわすれないよう【概念(気持ちということになるのかな?)】に工夫してくださることを願うわ。』
了解です。
バブーさんが一瞬捕まえた概念のように、私も一瞬捕まえた概念なので(といっても、バブーさんよりも逃がしにくく、そして捕まえたものを忘れやすいとは思いますが)、やりとりが進むうちに、つい、忘れてしまったら、また思い出させてくださいね。
ここまでのやりとりを読み直して思ったのは、自閉症者は頭の中に私たち非自閉症者には存在している(自分の味方である)鏡を持たないので、そのとき過ごした相手が鏡となってしまい、その相手次第で映し出される自分の姿はコロコロと変わってしまうということになるのだろうか・・・ということです。
彼らの言葉や行動は、相手によって「~と考えている」「~と感じている」「~と思っている」と「意味」され、彼らは相手や場面によって自分の言葉や行動が違う「意味」を持つことで、何が真実なのかさっぱりわからなくなっていき、混沌とした世界で孤独を味わっているということではないかと。
ママより
★
ママへ、
『自閉症者は頭の中に私たち非自閉症者には存在している(自分の味方である)鏡を持たないので、そのとき過ごした相手が鏡となってしまい、その相手次第で映し出される自分の姿はコロコロと変わってしまうということになるのだろうか・・・ということです。彼らの言葉や行動は、相手によって「~と考えている」「~と感じている」「~と思っている」と「意味」され、彼らは相手や場面によって自分の言葉や行動が違う「意味」を持つことで、何が真実なのかさっぱりわからなくなっていき、混沌とした世界で孤独を味わっているということではないかと。』
そう大正解。ママの理解は特にバブーみたいな受動型自閉症の理屈に完璧に合っている。
非自閉症の人の辞書にあるコミュニケーションとは、それぞれが「鏡を盾に」しながら「意味され合う」ことに他ならず、ママが言っているようなことは自閉症の人の身には日常的に起きている。
彼らは生まれ落ちたその瞬間から「意味され合え」と祝福された呪われた人生を歩むことになる。
これさえ解れば、私の積極奇異の個人的な知人が言っていることもわかる、その人は「意味していない私という人間を勝手に意味するな!」とひたすら言い続けている。
では「意味されること」がなぜそれほどのストレスになるのか?
非自閉症の人のある「感情用語」を使えば簡単に説明できる。
専門家による「誰だって使えない能力を使えと強制されればストレスでしょう?」というお為ごかしの説明より多分それはずっとわかりやすいはず。
何だと思う、ママ?
『やりとりが進むうちに、つい、忘れてしまったら、また思い出させてくださいね。』を了解。方法は講じた。
バブーより
★
バブーさんへ
『彼らは生まれ落ちたその瞬間から「意味され合え」と祝福された呪われた人生を歩むことになる。』
これは、胸にズシンときました。
『非自閉症の人のある「感情用語」を使えば簡単に説明できる。専門家による「誰だって使えない能力を使えと強制されればストレスでしょう?」というお為ごかしの説明より多分それはずっとわかりやすいはず。何だと思う、ママ?』
う~ん、怖い・・・かな?
ママより
★
ママへ、
残念はずれた。
「怖い」は自閉症のあらゆる「感情の前段階としての刺激の総称」だからあって当たり前で無いも同然。バブーの場合は他に方法がないので、仕方なく「恐怖」の強弱によって適当にそれらしい既存の「感情用語」に振り分けている。しかしそれも非自閉症の人から見ればかなり違和感があるらしい。
例えばバブーは一番恐怖が少ない状態を「幸せ」と呼んでいるが、非自閉症の人からみればどうみてもそうとは思えない状態であって理解に苦しむ、という感想になる。該当するエピソードが一つあるので後で紹介する。
話を戻す。
これはクイズじゃないしママをじらすのは本意ではないので先に結論を言っておくと、「意味しない」自閉症者が「意味された」ときの感情は、おそらく「○○(バブーさんと話し合った結果、読者の皆さんには内緒です。ごめんなさい。)」に相当すると考えられる。もちろんこれはバブーの経験から。
○○は最も原始的で凶暴な刺激で、それだけに概念化には実に面倒な手続きを必要とするはず。なぜなら言語というスマートな表象とは正反対の位置にそれはあるから。
それほどの刺激なので、たとえ概念化能力を持つ非自閉症の人が、○○という既存の「感情用語」を用いて何とか概念化に成功したとしても、完全に沈静化させるのは至難の業なんじゃないかな? 結局は時間が解決するしかないというような。
この○○がどれほど複雑な精神機能なのか。非自閉症の人の辞書的な意味をちょっと当たっただけでバブーは頭がくらくらしてくる。自閉症の「使えない」を遙かに超えた向こうにそれはある。手に余る、というか「振り分け」式で手のひらに乗せてみる(=既存の用語を使う)ことさえできない。
使えるのは最後の手段のみ!みたいな。
それはそれとして。今回ママが言語で捕獲してくれた概念、『私たち非自閉症者には存在している(自分の味方である)鏡』はとても便利!
これを短く『鏡の盾』と言い換えるとバブーにはより分かりやすい。というのも、かなり前にバブーは『「非」自閉症者は見えない鎧に守られていて、その鎧ごしに人とコミュニケートしている。つまり「閉」じているのは自閉症ではなく「非」自閉症である正常な人のほうである』というふうに仮説したことがあった。(昔この仮説を積極奇異の個人的な知人が支持してくれたことがあってバブーは本当に嬉しかった)
バブーのそのときの鎧の外観イメージは無骨な西洋の騎士のそれだったが、『鏡の盾』のおかげでより実体に近づいた気がする。本物はとてもスマートでコンパクト!
解説しよう。この『鏡の盾』の内側(こちら側)には自分の味方であるところの『自分自身』が正面向きで常に映っていて、ふたりで「相談」しながら降りかかる外部刺激を次々に言語で跳ね返している。これでいい?ママ。
バブーより
★
バブーさんへ
『「怖い」は自閉症のあらゆる「感情の前段階としての刺激の総称」だからあって当たり前で無いも同然。バブーの場合は他に方法がないので、仕方なく「恐怖」の強弱によって適当にそれらしい既存の「感情用語」に振り分けている。』
アスペ君はよく、「つらい」「悲しい」「傷つく」といった表現をするのですが、「楽しい」「うれしい」とかよりもわかりやすいって言うのですが、バブーさんのこのコメントから、アスペ君も似た感じで振り分けしているのかな~なんて思いました。
『鏡の盾』は、私たち非閉症者にとっても存在を自覚しにくく、その機能の便利さは空気のようになくなって初めて、ないとどれだけ困るか気づかされるようなものだと思います。
容易には気づけないから、「もしなかったら」をなかなか想像できない。想像できる機能はあるのに・・・です。
皮肉なものですね。
感じる、思う、考える、そうした機能を私たち非自閉症がどのように『鏡の盾』を使って操作しているのか、そこを気づけたらな~と思うようになりました。
ところで、バブーさんは、受動型への理解としては合ってるといわれましたが、それは、受動型は、「意味される」ことまでは受け入れられるけど、そのあとの周囲の反応に混乱してしまい、積極奇異型では「意味される」こと自体が受け入れられず、パニックや非社会的な問題行動といった形で周囲に受け止められてしまうということでしょうか?
ママより
★
ママへ、
ママは『非自閉症的な解釈』について熟知している上に、その解釈が的外れである可能性について誰よりも身に染みて知っている。そして外れ方を意識的に検証する「習慣」がある。これらが同時に出来るのはママの『鏡の盾』の性能が良く、とても頑丈で、ちょっとやそっとでは壊れない証拠。このため人より大きな責任を預けられて苦労してるけど。
『「もしなかったら」をなかなか想像できない。想像できる機能はあるのに・・・です。皮肉なものですね。』
本当に皮肉。
『鏡の盾』が壊れ(精神障害になって)治療を受けて寛解状態になって初めてその存在に気づく。でも壊れないままで一瞬だけ見る奇跡が起きることもある。
バブーを『姿形は同じだけれども、組み込まれた機能が全く違う2種類のものって感じです。』と気づいたのがそれ。ママがうまく認識できないだけ。
『それは、受動型は、「意味される」ことまでは受け入れられるけど、そのあとの周囲の反応に混乱してしまい、積極奇異型では「意味される」こと自体が受け入れられず、パニックや非社会的な問題行動といった形で周囲に受け止められてしまうということでしょうか?』
この理解は逆。でも180度ひっくり返せばいいだけだから楽。
受動型は「意味される」ことが当たり前で「意味されない」ことが一度としてない。だから「意味される」以外の選択肢を知らないというだけ。そこは「恐怖」の理屈と一緒。だから成長して「意味される」がMAXになってストレスが限界を超えると一転してむずかしくなる。
一方積極奇異はたまには「意味されない」で済むことがあったのかも知れない。代替ツールが『鏡の盾』並に働くことがあって、非自閉症と『仮の盾』越しに「意味しあった」経験があるのかも知れない。そんなふうに一度でも『盾』を学習すれば「間違って」意味されたと感じたときには反撃したくなるはず。
今日は昼寝をしたので夜更かし。
バブーより
★
バブーさんへ
【受動型は「意味される」ことが当たり前で「意味されない」ことが一度としてない。だから「意味される」以外の選択肢を知らないというだけ。そこは「恐怖」の理屈と一緒。だから成長して「意味される」がMAXになってストレスが限界を超えると一転してむずかしくなる。
一方積極奇異はたまには「意味されない」で済むことがあったのかも知れない。代替ツールが『鏡の盾』並に働くことがあって、非自閉症と『仮の盾』越しに「意味しあった」経験があるのかも知れない。そんなふうに一度でも『盾』を学習すれば「間違って」意味されたと感じたときには反撃したくなるはず。】
お、なんか一瞬つかまえた感じ。
でも、そう感じた瞬間にするりと指の間を抜け落ちてしまっちゃった。くやしい・・・。
そういえば別件で、メールのやりとりをさせていただいてたときに、チラっとバブーさんはこういわれましたよね。
=====
バブーは受動型だから『私を意味される』のはぜんぜん平気。
困るのは接した非自閉症の人数分だけ『バブー』が出現してしまうため、バブーが人によって『人格(キャラ)』を使い分けているかのように誤解されること。
さらに困るのは、その『使い分けている』という誤解を一部の非自閉症者の人たちが、『まさに自分のことだ』とさらに誤解をし、『自称自閉症者』が増えてしまうこと。
もともとが非自閉症である彼らの発言は『意味しあう』ことが日常である非自閉症の人たちにはとても馴染みやすく歓迎されてしまう。
でも、彼(彼女)らの手になる『自閉ワールド』なるものはバブーの日常生活のどこにも存在しないから『彼(彼女)らが自閉症ならバブーは非自閉症のはず・・・・いやしかし』という激しい【葛藤】が生じる。
自閉症にはこれが死ぬほど辛い。
自閉症のカナーくんが被害を受け、ママが怒りを禁じ得ない特別支援学校は、そうした彼(彼女)らをサンプルとした誤った「自閉症像」を元にしている可能性が非常に高いと思う。
受動型のバブーは「私を勝手に意味するな」とは言わない。
しかし「自閉症を勝手に意味するな!」と言い続けている。
=====
当時は、バブーさんのおっしゃってたことがよくわからなかったのですが、今回のやりとりで、あのときのバブーさんのセリフがリンクしました。
そして、アスペ君が受動型、カナー君は積極奇異型かな~なんて思いつつ、これまでの息子たちの言動を思い起こしていました。
この夏は、「私が息子たちをどのように意味してしまうか。」という視点で過ごしてみようかと思います。
今回はこのあたりが限界のようなので、ここでストップさせてもらってもいいでしょうか?
毎度毎度、大変なエネルギーを消耗されるにもかかわらず、私にお付き合いくださって本当にありがとうございます。<(_ _)>
~~~~~~~~~~
ということで、今回のやりとりは一旦終了となりました。
次回は、最後の方に話題となった受動型と積極奇異型についてやりとりをさせていただきたいな~と思っています。
明日から主人がお盆休みに入ります。
私たち家族はお盆は関西に帰省します。
いただいたコメントの承認は、多少遅れるかもしれませんが携帯からさせていただきます。
お返事につきましてはパソコンからさせていただきますので、帰宅してからになりますことをお許しください。